今朝は25年前の出来事を再現するVTRのような夢を見た。
宅地建物取引士が士業に昇格
この4月から通称”宅建”が宅地建物取引士に名称変更され、士業の仲間入りをした。
私が受けたのは平成2年、もちろん宅地建物取引”主任者”の時代。
平成バブルを背景に合格ラインが大きく引き下げれられた(26点/50点満点)年だ。
未だに、この最低記録?は破られていないようだ。ではなぜこんな時期にとったのか。
融資係をやりたい
当時26歳の私は地元青森のろうきんに高卒で入庫。
銀行に入ったら当然やりたいと思うのが融資担当。同期の中から担当する者も出てきた。
ところが、私はいつまでたっても”5時からオトコ”の渉外担当(早い話が接待マン)。
融資をやってる先輩に聞くとどうやら宅建を持ってるといいらしい。
そこで支店長に聞いた。
「いつになったら融資、やらせてくれるんですか。」
支店長曰く
「お前はまだ若い。知識が足りない。」「誰のコネもないんだし。」
「オレの接待費使って毎晩飲んで歌って楽しんでるほうがいいだろ。」
若気の至りで言ってしまった。
「支店長、オレ宅建取るから。そしたら来年は絶対に融資担当ね。」
支店長が約束した。
「わかった。今、労金で宅建持ってるヤツは1人もいない。融資やってる連中もそうだ。」
「万一受かったら、オレの責任で融資でもなんでも好きなところに推薦してやる。」
というわけで、無謀にも結構マジで勉強。その年に合格してしまった。
がしかし、翌年も融資担当はやらせてもらえなかった。
支店長に詰め寄ると「大人の事情だ」で黙殺された。
今思うに、この25年前の出来事が士業として独立するきっかけ。
営業を経験させてくれた労金と当時の支店長に感謝しなければならないと思う。